「随分かわいい下官だな」
例によって執務中に突然現れた延王は、礼儀はそれなりだったが無愛想極まりない浅黒い黒髪の少年が書類を持って部屋を出てゆくと皮肉っぽく言った。
「今度は太師の子でも引き取ったのか?」
遠甫に子があったとは聞いておりませんが、と積み上げた書類の陰から少しくたびれた声が答えた。
「祥瓊が国の縁の者をしばらく預かっているのですが、午後に少しだけここで働いてもらっているのです。それも勉強になるようですし、毎晩遅くまで働いている内竪に休憩を取らせる事が出来ますので」
「ふーん。他国から来て、王の書類を運ばせるとは、かなりしっかりした身元の者なのだな」
遠回しに素性を訪ねたつもりだったが、はい、としか答えてもらえなかった。
「いらっしゃいませ、延王君」
そこへさわやかな声で挨拶をして、女官と一緒に飲み物を運んで来たのは、明るい伽羅色の髪をなびかせた浩瀚Jrだった。
子供から少年になりつつあり見るたびに大きくなる。姿に年月を感じることの少ない王宮でその成長を皆が、とりわけ陽子が楽しみに見守っている気持も解らぬでもないと尚隆は眺めた。
それにしても浩瀚の子と知っていても、ふっくりとした頬と柔らかな目元に怜悧なその面影は重ならない。こちらではもともと親子は似ないのでそういうものだが。
他人のはずの桂桂という少年が、立ち居振る舞いまで浩瀚を手本として育ち、青年となった今では顔立ちまで似てきたのとは対照的であった。
自分は父には似ていなかったし、反発し続けていたがそれとも違うようで。
たとえばこの優しげな少年が幼いながら激しい炎を垣間見せる事があり、それは陽子のまっすぐに真っ赤に燃え上がる炎と似ていて、その他にも自分の卵果だという陽子の冗談を本当に思わせるほど似ている事は多かった。
しかし一方でその炎は浩瀚のそれにもどこか似ていた。それはすましかえった冢宰となった今も朝議などでちらりと見せ密かに恐れられているもので、尚隆にも陽子などにちょっかいが過ぎた時などにおなじみの小さく潜めた強く青白い炎であった。
この二つの炎の間で育つ子はどのようになるのかは延王にとって密かな楽しみであった。
「ああ、おまえも変わりないか。また少し大きくなったかな」
「ありがとうございます」
少年はそう答えると、卓子の用意を済ませ、陽子の傍らに立った。それは彼がこの部屋にいるときの定位置だった。
それを眺めるのは、いつもちょっと気に入らなかったが、そこの前は陽子の膝の上が彼の場所だったので、それよりはましかと考えた。人目のないところだと、まだ膝に寄りかかって甘えているのかもしれない。
まあ、あいつの膝の上に陽子が座る心配はまだないし、そんな事でもあればあの男が動くだろう、などと手持ちぶさたなままとりとめなく延王は想いに耽っていた。
やがて黒髪の少年が戻ってきて女王の反対側に立つと、伽羅色の少年は半歩陽子に近づいた。黒髪の少年は、それに気づいた様子を見せなかったが、一瞬せせら笑うような表情がかすめた。
これは……、とってもおもしろい、と杯の隅からそれを眺めて延王は楽しんだ。
やがて祥瓊が現れ、延王に挨拶をすると、二人の少年にもう下がってよいと声をかけた。
黒髪の少年は、祥瓊のお疲れさまという声にも返事をせず、視線も合わせないまま、二人の王にだけ礼をしてもうひとりを待つ事もせず退出した。
一方で伽羅色の髪の少年の方は、陽子に近づき耳元で挨拶を言いながら陽子の頬にそっと一瞬自分の頬を触れさせると、黒髪の少年の後を追った。
その後も当分陽子の仕事が終わらないと分かった延王は、ぶらりと外へ出たので伽羅色の髪と黒髪の後を追う事になった。
二人は行儀良く並んで回廊を歩いていたが、やがて言い争いを始め、声変わりもしていない声は潜めたつもりでもよく響き、離れた延王のところまで聞こえた。
「おまえ……、ヤキモチ焼いてるだろう」
「なにおっ」
「ふふん」
「おまえこそ、祥瓊が来られるまで毎日拗ねているくせに」
「ばかな」
「ふん」
二人は立ち止まり睨み合い、さらに言い合っていたが、とうとうお互い胸ぐらをつかんで、殴り合いこそしなかったが腰と脚で押し合い始めた。
――これはまたいい遊び相手が出来たものだ。
と、尚隆はのんびり柱の陰で見物していた。
「場所もわきまえず何をしているんだ、おまえ達は」
せっかくの見物に若い声の叱責が割り込み、二人の少年は崩れた襟や袖をつかみ合ったまま止まった。
「桂兄。どうしてここへ、休みはまだでしょ」
「試験の後の休みなので戻ってきたんだ。鈴から、それならおまえ達の勉強を見て欲しいと言われて迎えに来たら、こんな情けないものを見るとは」
下を向いた伽羅色の頭を睨むと、あたりをはばかってか潜めた声で叱った。
「私は子供の頃から冢宰を見習い行儀や作法を覚えた。それが何だ、お前のこの振る舞いは」
―――ぼくはあの人を見習ったことはない。
それからふてくされて横を向いたままの黒い頭に向かって言った。
「芳の仮王と言えば、王以上に王らしいとまで言われる誉れ高いお方。他国の王宮でその名に恥をかかせるのか」
―――それがぼくに何の関係がある。
それだけ言うと、蘭桂は叱責の言葉にもそっぽを向いたままの二人を引きずって行った。
「月渓の子か」
子供の素性に延王は納得した。
そこへ浩瀚が姿を見せ、もつれるように去る三人の後ろ姿に気づくと、その様子に形の良い眉を顰めた。
「なあに、子供が饅頭の取り合いをして叱られたんだ」
背後の柱の陰から現れた王にすぐに礼をとりながらも、浩瀚はそれでもまだ眉は顰めたままだった。
「饅頭でございますか?」
「そう、白くて柔らかくて甘い甘い、饅頭だ」
「はあ」
「取り合いというより、ありゃお互いの饅頭の自慢合戦だな」
はっはっ、と笑いながら陽子の執務室へ戻りかけ、振り返って言った。
「さ、陽子の仕事もそろそろ終わるだろう。
若いものに取られる前に、一緒に饅頭でもどうだ。まあ年寄り同士仲良くしような」
浩瀚は後で蘭桂と二人を問いつめようと思いながら、豪快に笑う隣国の王に従った。
初出 2004.04.21 Albatross小説掲示板