5 約束

伽羅色の髪の少年が書庫で陽子の使った書巻を棚に戻していると、背後で人の気配がした。
振り返ると、あの人がいた。

男は近づくと無言のまま横から手を伸ばし、少年の手の届かない高さに戻すものを取り上げると、そのまましばらく無言で手伝った。彼に会うことは珍しいことではなかったが、これほど近づく事は滅多になく、並んで手を動かしているだけでも浩瀚jrは少し落ち着かなかったが、やがて年上の男が口を開いた。

「昔、主上がおひとりで町に下りられるという話をしたのを覚えているか」

「はい」

「最近は、おまえを伴ってお下りになる事もある。その時は使令はもちろん、供も何人かお連れになった。むろん隠れてだが」

「気づきませんでした」

男は書棚から手を下ろすと、こちらを向いて少年の目を見つめた。どこも似たところのない二人であるが目の色あいだけは同じだった。
濃い琥珀色の眼が、淡い琥珀色の眼をしっかりと捕らえた。

「おまえは仙ではなく自分の身も守れない。主上がそれを庇えば御身が危ないこともあろう。主上の身に万一の事があれば国がどうなるかは判っているな」

その眼差しの鋭さに幼い少年は怯みかけたが辛うじて留まった。

「 主上はおまえのために、近頃ではあれほどお厭いだった警護の兵までお連れになるようになった。しかしお側にいるからには主上の身を守れとまでは言わぬが、自分の身くらいは守れるようになっておけ。それがひいては主上をお守りする事になるのだから」

「はい」

「もし、主上の足手まといになっているところを見ることがあれば……」


いつのまにか背後から白刃が少年の白い喉元に押しつけられていた。

「私が先に…おまえを」

「……貴方の手は借りません。自分で」

まだ幼い声が精一杯強がり言い捨てた。


全身を強張らせて立っていると、その言葉をかみしめ確かめるように間があったが、やがて首筋の硬い冷たさが消え、すっと気配が遠のいた。そして止めていた息を吐く前に視界の外から小さく訊かれた。あまりに小さいので聞こえたのは気のせいかもしれなかった。

――こちらへ戻りたいなら……

「いいえ」
まだ動揺が収まらず震える声がそれでもきっぱりと答えた。


それに頷くと、浩瀚は去り際に側の書棚に近寄り、その陰に向かって言った。

「芳は今もまだ沈み続けている。これからもっと荒れるだろう。いずれ戻れる日も来ようがが、そうなれば学ぶ暇などないはず。その日からすぐ月渓殿の助けになるように自分を磨き強くなりなさい」

書巻を掲げたまま書棚の間に立つ黒い頭が頷いた。

「今は二人で、力を合わせて……」

彼が静かに立ち去った後、残された少年ふたりは目を見交わした。

初出 2004.04.22 Albatross小説掲示板

warehouse keeper TAMA
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