「いったい何の用だ、桓魋」
浩瀚は仕事を中断させられ、冢宰府から離れた禁軍の練兵場まで引っ張って来られて文句を言った。
「まあ、まあ、俺じゃなくて、主上がお召しなんですから」
そうでもなければ誰がこんな忙しい時に、と言う浩瀚を、桓魋は塀で遮られた一画に押し込んだ。たしかにそこにはすでに紅い髪と群青の髪の娘が二人いて、塀の隙間から練兵場を覗いていた。
陽子は浩瀚を認めると、ちょっと笑って隣の隙間を指さしてみせた。
柔らかな春の日差しの中、兵はすでに訓練を終えたようで、言われるままに覗いたそこから見えたのは禁軍の兵よりは小さな人影で、剣を持つ少年二人と青年一人だった。三人は軽くそれを振って身体を解しているようだったが、そこへもう一人青年がやってきた。
「やっ、遅くなって」
遅れてきた青年が小走りに近づきながら詫びるのが聞こえた。
「忙しかったの?夕暉兄」
一番年下の明るい髪の少年はそう言って迎えたが、蘭桂は文句を言った。
「遅いっ」
「ま、そう言うなよ。だいたい悪いのは、コイツなんだ」
夕暉は月渓Jrの黒い髪をぐりぐりと乱暴に握り拳で撫で回して苦情を言った。
「おい、おまえ。うちへ書類を持ってくるときは、頼むから一度に一枚ずつ、すり足で歩いて来てくれ。おまえが書類を運んでくる時間帯は、忙しくて適わない。遅れたのはおまえのせいだぞ」
もしゃもしゃにされて垂れ下がった前髪の陰でもぐもぐと口の中で呟く耳元で、「何度も部屋を離れたくないし、なるべく早く戻って待ち構えたいんだよなあ」と、聞こえよがしに言う憎たらしい伽羅色の頭に、月渓jrは飛びかかった。
剣を放り出して子犬のようにとっ組み合っている二人を、青年らは少々手荒に引き剥がすと、ひとりずつ引き取って二人一組になって打ち合いを始めた。
静まっていた練兵場にカーンという音が響き始めた。
「四人ともなかなかいい剣でしょ」
桓魋は我が事のように自慢げだった。
「四人とも俺が教えたんですが、ひとりひとりあれだけ違うんです」
それを聞きながら皆は少年達の動きを追った。
「一番年上で実戦経験もある夕暉が、もちろん腕は一番上なんですが」
そう誉めながらもどこか心配げであった。
「ただ乱の時も気になったのですが、彼は考えすぎ、その分微妙に打ち込みが遅れるんです。むろんそれも大事なのですが、いざという時その一瞬の遅れが命取りになるのではと」
その夕暉は明るい色の髪の少年の剣をたたき落とした。浩瀚jrは少し手が痺れたようだったが、すぐに剣を拾うとまた元気に打ち返し始めた。そんな少年に夕暉は打ち込み方についてだろうか、声をかけ続けて相手をしていた。
その隣で力任せに振りかざし向かってくる黒い髪の少年の剣を、蘭桂はきれいにかわしていた。
「蘭桂は太刀筋が素直すぎてこれまた実際の戦いの場にはまだまだ危なっかしいです。でも型は一番きれいで大学での允許は一発でとれました。だから彼らの相手をさせるにはもってこいなんです」
そして浩瀚の方を見て言った。
「あの子は何かと貴方に似ていると言われていますが、太刀筋は夕暉の方がまだしも似てますね。まあ浩瀚様は考えもしますが、剣を振るうのに躊躇なんかしませんがね」
自分の冢宰が剣を振るう所など見たことのない陽子が少し不思議そうに見つめる、その視線を受け流しながら浩瀚は肩をすくめた。
黒い髪の少年は今度は刃の先を軽く合わせながら、打ち込む隙を捜そうとしているようだったが、蘭桂の構えはごく自然な美しい立ち姿にも関わらず全く隙を見せなかった。そしてわざとちょっと見せた隙につい飛び込んだ少年はたちまち胴を打たれた。
「芳の坊やはなかなか面白い剣です」
あっさり蘭桂の策に落ち、悔しそうに剣で地面を叩いた少年を、桓魋は面白そうに笑った。
「妖魔も出るし、実際に剣が使われている中で育った子だからでしょうか。とにかく先へ先へと剣が動きます。こちらも一日も早く一人前にしてやりたいのですが、まだ体が出来ていない上、性格的にもう少し落ち着かないとあれ以上の上達は難しいかと」
黒い髪がまたしたたかに打ち込まれるのを見て、祥瓊は蘭桂の今夜の夕食についてなにやら不穏な言葉をぶつぶつと言い始め、それを聞く限り、どうやら蘭桂は寮へ戻って食べるしかなさそうだった。
「最近、延王は来られたときには必ずあの二人の相手をして行かれるのですが、特にあの芳の坊や相手の稽古はちょっとすごいです。子供相手なのに、なんというか、怖いような気迫で。命がけで戦わないといけない国に戻る子だからでしょうか。ねじ伏せるような感じの時もあったりして。まあ、それに怯まず食い付いてゆくあいつもあいつですが」
背後のその言葉を聞き、祥瓊は陽子と話すのをやめて、落ちた剣を拾ってまた年上の青年に向かって行く少年の姿を不憫そうな眼差しで追った。
「で、一番ちびの坊ちゃん、これが困ったやつで」
苦笑いしながらの声に陽子は振り向き、そんな陽子に気付かないふりで、桓魋は浩瀚に話しかけた。
「先日主上が下へお出かけになった時、二人に絡んだやつらがいたんですが、俺たち警備のものが動く前にあの坊やが飛び出したんですよ。どうやら一人前に主上を守ろうとしたようです。
幸い子供を相手にするやつではなかったので、刃を使わずに一発でひっくり返してくれたんですが、本当に一時はどうなるかと思いました。
あの時の警備のものが、もう二度とお供はいやだと今でもごねています。俺だってあんな思いはもうごめんですね。
さすが主上の卵果と言われるだけあって、思い切りよく突っ込んでくれます。困ったところはそっくりです」
陽子が睨むのにもひるまず、わざとらしく大きな溜息をついてみせた。
「普段はおっとりした坊ちゃんなんで、こちらもつい油断したんですが、主上の事となると頭に血が上るようで。ま、そのあたりは俺より、どうも同じ傾向というか心当たりのありそうな方にご指導して貰った方がいいのかもしれませんね」
今度は浩瀚が細めた横目で睨むのにも知らん顔だった。
「ちなみに延王はこの困った坊ちゃんの相手はすこぶる楽しまれているようで。
身の軽い分スピードはありますし、怖いもの知らずなので遊ぶには格好の相手のようです。早く剣が重くなって欲しいとおっしゃっています」
相手を入れ替えて、また四人はしばらく打ち合っていたが、やがて少年達に少し疲れが見えてきたので剣を収めて片づけ始めた。
「今日はお時間がなさそうなので、お見せしなかったのですが、弓の方もずいぶん上達して。
そちらの方はご存じのように柴望様が指導されています。
お忙しくてお越しになれない時は、私が知らせた進み具合に合わせて細かく練習内容の指示を送って来られています」
「州侯なんて王に取り入ろうという下心でもなければ、王宮には近寄りたくないものだが、柴望は近頃なぜか頻繁に来るなと思っていたんだ。もしかして目当てはそっちか」
「かもしれませんね。上達を見るのがなによりの楽しみのようで。矢が飛んでもはずれても気になるようです」
「何かあちらに難しい問題でも抱えて悩んでいるのかと案じてやって損をした」
「私は土産に菓子くらいしか貰っていないし、それで取り入るのはちょっと無理だな」
苦笑いしている浩瀚に続いて陽子も笑いながら口を挟んだ。
「まあせっかくだから、冢宰か左将軍くらいにならどうだと伝えておいてくれ」
「私は州侯なんて物騒で忙しいのと取り替えられるのはいやですよ。将軍の方がずっと気楽で長生き出来そうですから」
桓魋が抗議すると、一同はそうだろうなと笑って立ち上がった。
「さあ、じゃあ私達も引き上げよう。
あ、浩瀚、今夜は時間は大丈夫だな。内輪の宴会だ」
「はい、お招きは覚えておりますが、はてなんの宴でしょうか。ずいぶん早くから始まるようですが」
「蓬莱では今日は男の子のお祝いの日なんだ。元気で強い子に育つようにという。家に武器や鎧甲を飾ったりしてね。
だから子供に合わせて早くに始めようと思って。
毎年やりたかったんだけど、この時期はいつも春の農地の視察に出かけるだろう、だから出来なかったんだ」
「そうでしたか」
「桓魋が、それだったら宴の余興に二人に演武のまねごとでもさせようかと言ったので、そんなのよりいつも通り自然に打ち合うのを見る方がいいと言ったら、先ほどの準備をしてくれたんだ。私達の執務時間中に練習しているからなかなか見ることがないだろう」
「そうですね……慶にも新しい世代が育つようになったと実感出来ました」
一番気になっているはずの少年の事に触れず、一般的な話にすり替えようとする浩瀚に、陽子は申し訳なさを感じながらも、ただ楽しそうに応じた。
「うん、そうだね。それにしても延王が子供好きとは知らなかった」
単純にそう思っているらしい陽子に、浩瀚は果たしてそれだけが理由だろかと思ったが、混迷した母国の待っている子供や、王を守らなくてはいけない子供への力添えと感謝しなくてはいけないのだろう。
「それから、宴にはその延王と延麒もお誘いしたんだ。節句の祝いは五百年振りだと喜んでおられたが、先ほどの話を聞いていると酔って剣の稽古を始めないか心配になってきた」
「それは危ないですねえ、酔っぱらった延王の真剣での剣舞なんてこっちもごめんですよ」
後から桓魋が口を挟み、また皆一緒に笑った。
ゴールデンウィークなんてない慶の午後、ちょっと仕事をさぼった大人や元少年はそれぞれの仕事に戻って行った。