「そろそろ冬支度をなさいませんと」

食糧を届けてくれた里の者に言われても、この庵に支度という程のものなく、白沢は物置の櫃から昨年もらった縁起が良いという赤い綿入れでも出してくるかと外に出た。
こちらに来た頃はそれほどに思わなかったここの寒さも、あれから何度も年を越える度老骨に響くようになってきていた。

「しばらく見ぬ間にじじいになったものよ」

若々しい声がかかり、それに振り向いた。

昔取った杵柄で裾を整え直ぐ地べたに伏礼したまではよかったが、立てと言われて立とうとした足がよろめき、結局差し出された力強い手に縋ることになった。

手を離さないままの相手を見上げると、にやりと笑われた。

「息災で何より」

「主上こそお変わりもなく」

「俺に変わりがあれば国がまた滅びるという事だからな」

その言葉の引き起こした思い出は、老いた心をまた苛ませた。



相手の表情が少し歪んだのにも気付かぬふりのまま手を離して、側の床几にどっかと座った尚隆は、茶も要らぬ酒も要らぬと気を使う相手を遮った。

「こんな女っ気もないところで酒など飲んでもまずいだけだ」

女のいるところで飲めば、僅かでもその女たちが店への借りを返す助けになる。
それをただ賑やかなのが好きと見せてひとりでも多く侍らせて飲む事に、ふとした事から気付いていた白沢は素直にそれを受けた。
この方は本当はひとりで酒を飲むのが好きなのかもしれない。

「今のところ俺が欲しいのは酒でも女でもなくじじいだ」

「しばらくお目にかからないうちに、お好みがずいぶんと変わられましたな」

「ふん、そういう事を俺に平気で言う狸じじいが欲しいのだ」

「王宮にはそのような方は他にもいらっしゃいますでしょうに」

「ああ、いるいる、特にタチの悪いのが三人ほど」

「では四人は多すぎるかと」

「ああ、しかしあの三人とは違うのが欲しいのだ」

「つまり貴方様に負い目があって実は言いなりになる、見た目だけの狸がでございますか?」

「そう思いたければそう思えばいい。お前らが自分をなんと思おうと俺は自分の思ったように臣下を使う」

「拙は仙籍をお返しして今では臣下ではございませぬが」

「おまけにその前だって俺の臣下だった事はない、と」

無言のままの老人を見下ろした尚隆は立ち上がった。

「俺はお前が責任をとって辞めるのを止めなかった」

「はい」

「それはあの男の臣下であったお前を一度殺すためだ」

白沢は返事をせず尚隆を見つめた。

「もう充分死んだかと来てみたがどうだろうか。もう少し待ってもよいが、これ以上老いぼれて死なれでもしては困る」

尚隆はそう言うなり、白沢の腕を掴み引き寄せ、軽い老体はそれに踏ん張ることも出来ずたたらを踏んだ。

「しかしたとえ死んでもこの国と民に必要と思えば、俺は墓を掘り返してでも働かせてやる」

引き寄せた身体が彼の足下に崩れ込む寸前、その腕と膝でしっかり受け止めた尚隆は、同時に相手の目を揺るぎない視線で捕らえた。

「跪け、そして俺の指を受けよ。そしてこの国が滅びるまで国と俺のために働け」

白沢は力強い手に身を掴まれたまま、その視線を振り切りあたりを見渡した。

色づき、すでに葉を落とし始めた木々がふたりを取り囲んでいた。
厳しい冷え込みを知らぬ雲海の上では、これほど鮮やかに色づく事は珍しい。
白沢はその枝に自分を引き留めてもらいたいかのように手を伸ばした。

紅い葉を背景に翳した手を被う乾いた皮膚は薄く老骨に襞をつくって張り付き、日の光にも似た紅を透かして見せそうであった。そこに自分の老いを認め、果たしてこの若き王の朝に戻っても出来る事はあるのかと怪しんだ。

やがて四季の変化に包まれた住処もこれが見納めかと見回した。
王に視線を戻すと、ゆっくりと足を揃え、改めて腰を落とし白髪頭を屈めた。