こちらの暦には十二季歴というちょうど日本の立春や冬至と同じようなものがあって、いずれも王によって祭礼が行われるのだが、十二月の今日は大雪と呼ばれる日だった。半月ほど後にある冬至の祀りに比べれば規模は小さかったが、陽子は朝から正装して忙しく過ごした。
そして最後の式典も無事終えて内殿へ引き上げる前のほんの短い合間、やっとあたりを見回す余裕の出た陽子は雲海の少し下にあるそこの寒さと空気に満ちる冬の匂いをひととき味わっていた。
そして側に立つ禁軍左将軍にそっと話しかけた。
――『大雪』って、海で冬の魚が捕れ、樹には冬の実が生って、山では熊が冬眠する日なんだって
桓堆は軽く笑って、そうでしたかと言った。 すると陽子は彼の方を向いて少しつま先立ち、桓堆もそれについ少しかがんで耳元で囁かれるのを聞いた。
「桓堆は眠くならないの?」
禁軍の将軍が一年の半分寝ぼけていたらどうなる。そこでただ、いえ、と答えかけたが、近くで見下ろせば重々しい盛装に埋まって見えるため一層その瑞々しさの際だつ少女の心配そうな顔の可愛さに答えを変えた
「実は眠いのです」
「…冬眠するかもしれないのか?」
この頼もしい将軍の代わりなどいるだろうかとすこし慌てたまじめすぎるのがちょっと欠点な女王の様子に、桓堆は安心させようとした。
「昼間は大丈夫でございますからご心配なく」
「夜だけ眠いのなら誰でも同じだろう」
「眠りの深さが違うようです」
「毎晩ぐっすりなら疲れもとれていいね」
陽子がほっとしたようなのを見ると、今度は逆に少し心配させたくなり、桓堆はわざと表情を曇らせた。
「でも私はそれほどは眠れたためしがないんです」
「なぜ?」
「一匹では寝付けないんです」
それを聞いた翠の瞳が驚きで丸くなるのを見て笑いに堪えた。
「どうして?」
「さあ、寝床が寒いせいか寂しいせいか」
ここまで言えば冗談と分かると思ったのだが、陽子はどこまでもまじめだった。
「そういえば蓬莱では母熊が子供と冬眠するっていってた」
私に子熊を抱いて寝ろとでもおっしゃるのかと、呆れたあまりについもう一押ししてしまった。
「あちらでは子熊ですか。こちらでは普通はつがいですがね」
言いながら桓堆はおなかが捩れそうだった。 しかし陽子がそれに何も言えずちょっと間が空くと、さすがに桓堆も調子に乗りすぎたと慌てたが、ぽっと頬を染めた陽子につい見惚れ目が離せなくなった。
「あ、あ、そうなの…こちらでは、ふーん」
言いながらもじもじする陽子に出立の声がかかり、少しほっとしたように離れようとするのに桓堆は素早く今度はこちらから囁いた。
「私もぐっすり眠りたいのですが」
「…え……」
「王ならきっと私を大雪の夜の熊らしくして頂けるのではないかと……」
そしてまた固まってしまった陽子からさらりと離れると、周りに合図をして一同を率いた。 そして重々しくあるべき王の行列は、なぜかその日は少々足取りの軽すぎる先導者によっていそいそと内殿に向かった。