「天命を以て主上にお迎えする」
瀬戸内の小船の中で六太は尚隆の足下に叩頭した。
それに続く身体を駆け抜ける不思議な感覚が収まった後、尚隆は六太に訊ねた。
「で、その国へはどうやって行くのだ」
「月が出るのを待ってくれ」
「まだやっと昼だな。夜までどうするんだ」
「怪我人なんだから寝てろ」
「仕えるというわりには、態度が・・・・」
と言いつつ、傷ついた身体はいつしかまた眠りに落ちていった。
「おいっ。起きろ。出かけるぞ」
声に目を覚ますと、月が海に美しい道を造っていた。
「こいつに乗れるか」
「ああ」
見慣れぬ恐ろしげな獣も月明かりの中では不思議と恐ろしさを感じず、跨ろうとしたが。
ずるっ、どしん。
悧角は尚隆の身体を船に落とし、自分も船端にその身を強かに打ち付けた。
「わっ、どうしたんだ」
「申し訳ございません」
悧角が恐縮して言った。
「台輔がまだ血の穢れで弱っていらっしゃるので、私も王をお乗せする力が出ません」
「私も腕に力が入らず、お支えしきれませんでした」
沃飛もあやまった。
「そいつは困ったな。とにかくがんばってみてくれ」
「「はい」」
よいしょっ、ずるっ、どしん、うっ……
よいしょっ、ずるっ、どしん、ぼちゃん……あ、台輔、主上が……
「おい、おれは怪我人なんだ。あと何回落とされなくてはならんのだ……」
「台輔、月が沈みます」
「うーん。困ったなあ。もう一日ここで回復を待つしかないか」
「ところで王とやらになったせいか、傷の痛みも少しましになってきたが、腹が減った」
「うるせーな、こんな海の真ん中で何があるって言うんだ」
「何の役にもたたんガキだな」
ぶつぶつ言いながら、尚隆は何かないか小舟の底を探し始めた。
ぐったりと身体を休めていた延麒は、はっとして飛び起きた。
「おいっ、何やっているんだ」
「飯さ、おまえも食え。新鮮な刺身だぞー」
そう言うと、船にあった竿で釣った魚を小刀でさばき始めた。
「うぐっっ。尚隆っ、常世の事を知らないから、最初に教えておく。
俺は麒麟だ。麒麟は、血がだめなんだ」
「ん?しかし人を殺めたわけじゃない、魚だぞ」
「だ、だめなんだ。頼む、やめてくれ、これじゃいつまで経っても帰れない」
「せっかく釣ったのに。じゃあ他に何を食えというのだ」
「コンブとかワカメとか……、ヒッ、ヒジキもどうだ」
「そんなもの食いたくもないし、ここからでは深すぎてそんなもんは採れんぞ」
「じゃ、じゃ、できるだけ小さいのを一匹だけ、あっち向いて食ってくれ。
それから船の外で切ってくれ」
もしかしておまえの国では魚はいないのか、とのんびりした声の問いに背を向けて六太は必死で吐き気に堪えた。
「こんなじゃ、今夜も力が戻るかどうか。悧角、大丈夫か」
「さあ、どうでしょうか。王がもう少し小さい方だと良かったのですが」
「そうだな、でかい男じゃなくて若い女王なんかだとよかったのにな」
一人と一匹はそれならもうちょっと張り切って運んだかもしれないなと一緒に思った。
「おいっ、悧角がふらついているんだ。しっかり掴まれ」
「台輔、王のお尻がずり落ちそうです、持ち上げて下さい」
「俺は転変しているんだ、手がないんだからむちゃ言うな。沃飛、落とすな」
「いたっ、六太、尻を角でつつくな」
「しょうがねえだろ、頭で落ちかけているところを支えているんだから。
くそっ、麒麟は王の前だとこんな頭の下げ方までするのか」
「おい、無理せず、また明日にしようや。
食べ納めなら瀬戸の海の幸をもっと食っておきたいし。
おまえ、魚がだめならシャコなら食えるか。うまいぞー」
「げっ」
「台輔、明日は月が出ないかもしれません。今夜だめだと当分帰れません」
「がんばれっ。絶対今晩帰ってやる」
とにかくなんとか国へたどり着いたが、そのあまりに悲惨な旅の記憶のため、悧角はそれ以後王を乗せるのをいやがるようになり、王宮の厩舎には歴代たまととらという名の騶虞が飼われた。