桜は少女。
まだ冷え込む季節に膨らみ始めた小さな紅い芽は、自分が何になるかも知らず。
そして側を通る者にはもろく薄い樹皮だけ見せながら、ある日その頭上を一気に花で埋め尽くす。
乱の後初めてお会いした主上は洗いざらしの衣に身を包み、すらりとした立ち姿をお見せになった。それはしなやかな若木のひと枝のようで、冷え切った空の下でその息吹が清々しかった。
その後お仕えして重ねた年月の後、突然、本当にある朝突然、花開かれた。
貴女は永遠に変わらぬ神であるはずなのに。
花開かれた姿は一足歩くごとに軽やかに花萼を揺らし、笑い声は辺りに風を呼ぶようで。その風がさらに花を揺らし馥郁とした香りを辺りに送っておられた。
そしてその香りに呼び寄せられ、誰もがその側に集まらんとしていた。
淡いその花びらに酔い、清らかさを愛で、そんな宴の続く中でひとり私だけが心を静めんと務め、醒めた目で傍らに控えていた。
花が咲けば愛でているだけでは気が済まぬ者が現れると、知っていればそれは当然の事と。
誰が手折ろうとするのか。
花盗人には罪は問わぬもの。
それでもそれが国を預かる者の役目と信じればこそ、心ない花盗人から花を守ろうとした。
愚かな。
だから、ある夜、その花が私の元に現れるなど思いもかけず。
細い腕を驚きに動けぬ私のかいなに巻き付けて、風に靡くように、あるいは何も聞こえなくなった私の耳には入らぬ楽の音に合わせるかのように、ゆっくりと身を揺らしながら……そんな事はあり得ぬはず。
しかし若葉にも似たあの鮮やかな緑の瞳はまっすぐ揺るぎなく私を見つめ、私があれほど焦がれていた、そう、私はこれに恋焦がれていたのだ…紅い唇を開いた。
「私を抱いて」
これほど尽くしお仕えする花守になにをおっしゃるのかと、それを振りほどくことは私には出来ず、
ただ花の望むままに。
私の手の中で、花はさらに揺れ、ほのかだった香りは息をするのも耐え難いほどに芳しく芳しく香りを放ち
……散って。
朝、目覚めれば、私はひとり横たわり、ただ夜来の風に窓から入り込んだ薄い色の花びらが無数に周りに散るばかり。
私はそれに幾重にも被われていた。
そこに人の気配などなく。
肘をついて身を起こし、昨夜の事はただの夢であったかと解せぬまま、窓の外で花びらを散らし続ける大木を見ていたが、
やがて気付いた。
桜花はその盛りに散ってこその花、そのために花開くと。
散れば、また次の年に次の花が咲く、そしてまた。
桜が永遠に咲き続けるためには、春の風のように優しく美しく散らす者が必要と、それが真の花守であると。
この桜の樹は私にそれを告げたかったのだと。
主上はその日も満開の花のように、変わらず無垢な艶やかさで王宮中を魅了しておられた。
私はいつものその背後を離れて、主上の前に立った。
そして紅い髪に恐れる事なく触れた私に、碧の瞳が驚き、しばし経って輝いた。
花はやはり愚かな花盗人を待っていたのだった。
私は昨夜の花が私にしたように、両の腕を細い首筋としなやかな腰に回し、自分の心を伝えた。
そして私は、桜守となった。
冬の風に吹きさらされる幹を包むように身を寄せ、小さな芽に心躍らせ、緑陰で安らいだ。
時に無慈悲に涙ぐませ、夏の雨に濡れそぼったかのような身を腕に抱き留めた。
そしてその繰り返しの中で桜は咲き続けた。
美しく咲かせるのはただの花守。桜守は花吹雪の中で生きる。
いつか桜守を終える時、それは私の最期に違いなく、
そうなればどこかの桜の下に葬ってもらいたいもの。
それが今の私の唯一の願い。
私を哀れみ桜が毎年花びらをその上に降り積もらせてくれるように。
そして青々とした若葉の間からその年最期のひとひらの花びらが散る時、やはりあのように桜から引き離され息絶えた男がいたと笑ってくれるだろう。
桜が咲くところ、男がひとり。
そは幸せな桜守なり。