今日は朝からいやな気分だった。俺のブロンドの長い髪はビルの谷間の風に煽られてぐしゃぐしゃに乱れ、いつもの横町の靴磨きには先に見知らぬ男が居座っており、事務所の下のカフェテリアのコーヒーは苦かった。
「すまねえ、ケイ。新入りが豆も挽けねえ野郎で。今朝はお代はいいからな。」
ごつい店主ペッパーはぼりぼりと頭を掻いて謝った。気にするなと言ってやればいいのだが、朝まともなコーヒーを飲ませて貰えなかった靴の汚れた男にそんな優しさを期待する方が悪い。
「ああ。」
それだけ言うと、上へ上がった。
「おはようございます。」
金色の髪をきりっとシニョンにまとめたショーショウが挨拶をした。うちに秘書なんか雇う余裕はないのだが、これはスポンサーからこの事務所とセットで与えられたようなもの。彼女だって不本意だろうが、こっちにも迷惑な事だった。しかしそれにしては不平顔も見せないできちんと仕事をしてくれている。
「ああ。」
いつもだが、返事もろくにせず部屋に入りかけてから振り返って訊ねた。
「ショウ、今日の予定は?」
すぐに彼女は覚えきれないほどの予定があるかのように、デスク用のノートを取り上げた。有能な秘書というのはボスに恥をかかせない。
「えっと、今日はお約束は何もないようですが。」
たいていの日はそうなんだから訊くほどでもないのだが、ここで訊いておかないと、このあと部屋まで入ってきて何もないスケジュールを読み上げられるのだ。自分の縄張りでは静かに過ごしたい。
そして奥の部屋のドアを開けようとした時、入り口のドアが勢いよく開いた。
廊下から入ってきたのはまだ若いほんの小娘だった。しかしガキのくせに羽織っている毛皮は本物の白テンで、巻き毛が同じテンのふわふわの帽子からはみ出して大きなぱっちりした瞳の顔を覆っていた。その背後にはやたらデカイ男が居心地悪そうに立っていた。
「あんたがクッキー?」
「そんな名前で呼ぶな。」
「だって探偵を捜していたら、クッキーがいいって言われたの。」
俺をそんな名前で呼ぶのは一人しかいない。以前はもう一人いたが彼女はもういない。
「ケイと呼べ。お前の歳なら、ミスター・ケイでもいい。」
小娘はふんと鼻を鳴らすと、自分は客なんだからミスターなんかつけないと言い放った。親は毛皮を与えるついでに躾をしなかったらしい。
「仕事の話なら中へ入れ。」
少なくとも小切手の不渡りは出しそうにない客に見えた。今月の家賃を考えればしつけには眼をつぶるべきか。
娘は勧められた客用の椅子の汚れ具合を見てから座った。ボロだがショウはそんな手抜きはしない。
「男を捜して欲しいの。」
ここへ来る客の半分は人を捜し、半分は物を捜している。男ならそのまた半分だ。珍しい仕事ではない。
「名前はリコ。たぶんマイアミから来たんだと思うの。小麦色の肌に黒い短い巻き毛、右の頬にエクボがあるの。歳は20と30の間でしょうね。」
おじょうちゃん、もしかしたらそいつの尻にもエクボがないか知りたいんじゃないのか。親んところへ帰りな。
「俺はシカゴが縄張りだ。マイアミならそっちに山ほど探偵はいるが。」
「ううん、まだこっちにいると思うんだけど。」
「マイアミのリコなんて、子供が捜す相手には思えないが。」
「家のごたごたの時に世話になったんだけど、片づいた時にはすぐいなくなって。」
「礼を言われるのが嫌いな男はいくらでもいる。消えたんなら事情があるとは思わないのか。」
娘は反対されるのに慣れていないらしい。
「とにかく、捜して頂戴。このボディーガードがぐずぐずしていたのを彼のお陰で助かったんだから。」
じろりと冷たく睨まれて大きな体を縮めた男は、アリゾナの夕日のような髪だった。ボクサー上がりのようだが、鼻からみて三回戦ボーイにもなれず辞めたんだろう。
「弱くはないんだけど、相手が鼻血を出す度に自分が気絶するボクサーなんて物にならなくて、親が飾り物の護衛をさせているの。」
護衛を値踏みしている自分に気付いたらしい。殴った相手が唇を切っただけで気分が悪くなる俺は密かに同情した。ここはこんな俺たちでも探偵や護衛をして生きてゆく街なのだ。
しぶしぶ俺は、男を捜すてがかりになるものを聞いて控えた。
「じゃあ、あとは受付で手付けを払って連絡先を書いていってくれ。」
立ち上がって見送る事もせずに言った。
「ところで、おまえに俺を紹介した女は・・・元気だったか。」
なるべくさりげなく訊ねたつもりだが、なぜか他の場合と違いあまり芝居はうまく出来なかったようだ。仕事でそんなことをしでかせば命に関わる。娘はにやっとするとそらっとぼけて言った。
「あら、誰の事かしら?パーティで会った誰かなんだけど。どんな人だったかしら。」
親は本当に年長者への礼儀を教えなかったらしい。
「赤毛で瞳は碧だ。」
くいしばった歯の間からなんとか声を出した。
「ああ、そう言えば彼女だったわ。なにしろ彼女の周りにはいつも人がいっぱいで。」
そしてそっと囁いた。
「あなたは彼女の義理のママの知り合いだったんでしょ。だったら少し彼女の心配をしてあげたら?最近突然現れたどこの馬の骨ともしれない男があそこのビジネスを仕切っているらしいわ。
かなりデキル男で傾いていた家業はお蔭ですっかり立ち直ったらしいけど。私だったらちょっと警戒するわ。
だって、あんなに仕事が出来て、しかもクールでステキなんて、絶対アヤシイと思わない?きっと何かあるに違いないわ。
しかも最近はプライベートで出かける時もいつも彼女に付き添っているのよ。」
俺は何も言わなかったが、頭の中でこの馬の骨の調査をフロリダ男の調査より優先させた。
そして小娘をやっと追い出したところへ、今度はまた別の小娘が来た。今度の娘は俺を見るなり見事なストロベリーブロンドの髪を振り乱して泣き崩れた。
「お願い、ボスの大切な置物を捜して。
16世紀のスペインの財宝だった金で出来た猫で、眼にはルビーが首飾りにはダイヤが嵌め込まれているの。私がうっかりしていたために盗まれてしまって。
ああ、ラン・ジョー、ごめんなさい。」
捜し物の残り半分の例だが、探偵としてはこういう仕事こそやりたいもの。詳しく聞こうとしたが、泣きじゃくっていては話がよく分からない。
有能な秘書は何をしているのだ。半分開いたままの扉越しに睨むと、ショウはまた別の長身の黒髪の男の相手をしていた。
視線を感じたのか男は振り返ると勝手にこちらへ入ってきた。
「人を捜して欲しい。」
泣き崩れている女性に構わず割り込んで言うとは紳士でないことは確かだ。そんな奴の捜すのは、人口の残り半分の方で、年は16と26の間に決まっている。
「男でプラチナブロンド、歳は30くらい。奴の故郷じゃみんなが捜しているんだ。」
たまには探偵の勘も外れる。こんなところに座り込んで慣れない客の相手などしているから勘が狂うんだ。
俺は立ち上がると、二人の客の話をショウに頼んだ。
帽子掛けから帽子を取る時振り返ると、ショウはソファーで隣に座った娘を慰めながら、組んだ膝に速記ノートを載せて娘の話を聞き取っていた。そしてゆらゆらと揺れるそのシームの曲線を楽しみながら黒髪の男はおとなしくコーヒーを飲んで待っていた。
帽子を目深にかぶると、こんな役に立つ秘書に感謝しながら、おれは金とルビーの置物もプラチナブロンドもマイアミの伊達男も後回しにして、大事な碧の瞳<グリーンアイズ>につきまとっているやり手の男の正体を探りに、湖から吹き付ける北風に耐えている街の中へ出かけた。
パラレルで、誰が誰かはだいたいお分かり頂けたのですが、ちょっと難しかったのもあるようですので、
お分かりにならなかったらあとで下の配役表をどうぞ。
ハードボイルドの話で盛り上がった時に、続きは考えずに一気にお遊びで書いたのですが、意外と楽しんで頂けたのでもしかしたらオールスターキャストでまた書くかも。