まあ……
ただそう言うと、舒覚は背の高い花の群れに身を滑り込ませた。

お召し物が汚れます、という声に振り向いたその貌の輝きに、付き従っていた女達は言いかけた言葉を止めた。姿、声、すべてが美しく、ほがらかで、しかもたおやかで、それは人が女王として夢見る姿に違いなく、誰もがその前に跪くに違いない。
皆は改めて天帝のその采配のみごとさに感じ入り、その力を知った。



「少し切ってもいいかしら?」

咲きそろう花に負けないほどに晴れ晴れと、まるで小さな少女に戻ったかのように、女王は袖を押さえる事もせずに大きく伸ばした両の手で太陽に向かって開いた花を次々と包み込んでいった。
光をいっぱいに浴びて育った花からは、その命の力が揺れるたびに溢れこぼれるかのようだった。

「そんな遠慮などもちろんご無用ですのに」

そう言って懐から取り出し差し出された小さな鋏を受け取ると、手伝おうとする手を断り、舒覚はひとりで長い茎を切り始めた。
糸切り鋏はしっかり育った茎には小さすぎ、何度も刃を滑らせたが、ゆっくりと一本ずつ丁寧に選んだ花を、先程までのはしゃいだ様子を潜めて唇を噛み締め一心に切っていった。

そうしてなんとか数本が切れると、満足そうにそれを抱え、幸せそうに見つめた。


――綺麗だわね。
そう呟くと、傍らに侍る娘のひとりにそれを渡した。

「景麒に届けて欲しいのだけど」
娘がかしこまってそれを受け取ったのを確かめ言った。
「これを見ればきっと元気になるわ」

そして、もう一度黄金色の輝きを見渡した。

――彼の育ったこの地の花ならきっと喜ぶでしょう。



花の上を越えて流れてきた風が、彼女の淡い色の髪を靡かせ、少し紅潮した頬をかすめた。

――そして今度は、こんな風に明るく太陽に向かって咲くような、そんな王を選んで欲しい。
すべてに顔を背けてしまった意気地なしの私なんかじゃなくて。





そろそろ玉葉様がお待ちです、と遠慮がちな声が促すと、景王は肯いてふわりと身を翻し、歩き始めた。











ほら、景麒、きれいだろ。この間見つけたんだけど、きっと今頃咲いていると思って。

緋色の髪の王は翔ぶように花に駈け寄ると、まだ窪地の外にたたずんでいる下僕を振り向いた。

「こちらにもこの花があったなんて知らなかった」

眼前に拡がる窪地には無数の向日葵が咲いていた。

「ちょうど夏休みの季節にあちこちにこれが咲いていてね。だから楽しかった思い出がいっぱいある花なんだ」

楽しそうに背の高い茎を揺すって回る陽子を、景麒は黙って見ていた。

開いたままの目は、しかし主の歩くに従って揺れる茎の先につく黄金色<こがねいろ>の花を見ようとはせず、ただそれにつれて場所の代わる王気の揺らぎのみを追っていた。


――ビニールプールで水浴びをしていると、そこにもこれが咲いていてね……

返事のないのにも構わず話し続ける声が花の間から風に乗って聞こえた。

――あ、ビニールプールってこっちにはないよね。

やがて花を楽しみ戻ってきた陽子に向かって景麒は言った。

「よい思い出をお持ちでよかった」

時々なんだか変な言い方をするね、おまえ、そう言いながらも機嫌良く陽子はまた来た道を戻り始めた。

しばし花の前にひとり残された景麒は改めて花の群れを見晴らした。

――私にも思い出がございます。

それが先に進んだ主にはもう聞こえないと解っていてもそう告げたかった。

自分にも思い出はあるのだと知って欲しいと思うようになり始めたのはいつ頃からだろうか。
たぶん、陽子が蓬莱でのことを語っても心が揺らがなくなったころからだろうか。

いつか、いつかもっと、そう思いながら、今は唯主の後を追った。