昨年のどこか間違った妄想の実地取材に続いて、今年もまたどこかおかしいSSの舞台背景を求めて神の恩寵の地へ行って参りました。
昨年、浩瀚jrを迎えに来たのはピーターパン陽子だと申しましたが、もうひとつ付け加えるならこの画です。
この画こそ、うちのトップ頁にあっても不思議はないサイトの本質です。
(どうでもいいんですが、よくこれが撮れたなと。あの高い天井画で三脚なし。最新型のカメラと画像ソフトはすごい)
ご存じミケランジェロの「天地創造」、神から命を与えられる人間アダム。
この神から差し伸べられた手に、こちらも手を差し出す人間の繋がりこそ、やはり陽子と浩瀚jrの出会いです。
そしてそれに留まらず、サイト内にわんさかいる、王とその臣下というCP(肉体的恋愛関係とは限らない)そのもので、うちのサイトはまさにこのイメージから成り立っています。
官吏だの女官だのの立場から王を書くことの多い私には、いつも彼らのその先、手が届くような届かないようなというところに王がいて、そこから送られる力で生きて、その関係から話が拡がります。
自分と同じ人ではない神たる者に、縛られ操られる事から生まれる喜びと悲しみこそ官吏の人生です。
ちょっと脱線しますが、これを見に行ったすぐ後、日本で開かれている「パリ・ロダン美術館展」に、行ってきました。
その中の一点「大聖堂(カテドラル)」は私の大好きな景陽サイトさまの、やはり精神的な背景とも言うべき作品。サイトでも繰り返し熱く語られてきました。
そのふたつの手のやはり触れるか触れないかの触れあいは、作品の好みではなく、書き手の妄想視点から言えば、うちのサイトとは違う、あれはもっと対等に向かい合い交流しあえる者同士の触れあい。
まさにどちらも神である王と麒麟の結びつきの世界を描かれる方の愛される作品の視点なのではと思いました。
と、まあ懲りもせず、妙な妄想を楽しみながらの旅行でしたが、すぐ近くにもうひとつ、最近の妄想の揺り籠が。
心も体も傷つき倒れた旧友○○を膝に抱き上げるXX。(渋谷サイキックにもお払いを断られた強力な閣下の呪い付きPCなので、これ以上ははっきりとは)
人生の難しさを嘆きつつも人生のあれこれを見尽くしたジジイ同志らしく(?)、諦念と友への無条件のいたわりを込め、ただゆっくりと膝に抱くしか出来ない。
○○を描かれた某絵師さまが余りにお忙しすぎて、大事なキャラに対しておバカに何を叫ばれても妄想されても抗議出来ないのをいいことに(いやそんなことはもともとされない方ですが)、勝手に脳内コラボさせて妄想し放題。
(伏せ字にはしたのですが、下書き中にソフトがクラッシュして二日がかりで復旧しました。やはり冢宰は過去に触れられるのがおいやか)
とまたまた脳内で堪能して参りました。
私の好きな絵師様が次々と休業状態に、そしてアニメの続きもないし。でもなんとかビジュアル的には眼を堪能させたのでしばらくは満足〜。
二次創作バトンの方でも、いろいろな画から作品が浮かぶというような事を書いたのですが。さて、これからもどんな無謀な妄想にかられるやら。
たま