新王登極より一年が過ぎ、金波宮にも落ち着きが出てきた。そんな王宮は宝物殿の一角がなにやら騒がしい。女御達が入れ替わり立ち替わり出入りしている。先の景王、謚を潔王と言うが、その潔王の私物の整理が始まったのだ。
未だに民のみか王宮勤めの者達にも、慕われ続ける潔王である。それ故に、
女御達は気持ちの切り替えに苦慮しながらも、作業を進めていく。どうしても、滞りがちになってしまうそんな中、出てきたものがある。
「こんなものがございました」
恭しく差し出されたものは、王の日常使うものにはとても見えない反故紙を束ねたものだった。女官長は怪訝そうに眺め手に取る。それは書き損じでも、裏が使えそうな紙を集め閉じたものが数冊。かなり分厚く、紐解くと懐かしい潔王の文字が並んでいた。
新しい紙をご用意しますと言っても、
『これは私が書き損じたものだから。この紙だって大事な血税で賄われているのだろう。勿体ないじゃないか。無駄になんてしたくない』
そう仰っるのが常だった。
こんなところにもあの方らしい跡が残っている。思わずその束を抱きしめたくなるのを、女官長は必死で飲み込むと検分を続けた。
反故紙の束の殆どは潔王の個人的な覚書で、それらは研究者用に国立図書府行きとなる。
ただ一冊、日記が出てきた。それも身罷る直前の日記である。生前親しくしていた者達への親書のような文書だった。書き始め当初は文字に力があったものの、徐々に文字は小さくなり、やがて弱々しく掠れたり行が斜めになったりしていく。冊子の最後の方には、記された痕跡すら見あたらなかった。
一日
今日から、政務の全てを官に任せることになった。最後まで黙ってみててくれると約束していたにもかかわらず、浩瀚にもう見ていられないと諭される。後は自分だけの時間にして欲しいと言われてしまった。私も限界を感じていたから、流石に押し切ることは出来なかったな。実のところもう動くのもしんどかったんだ。有難う。
浩瀚、貴方に甘えることにするよ。最初で最後の甘えだね。
折角みんなが与えてくれた時間。ただ何もしないでぼうとしていたら、考えることは一つだけになってしまいそうだ。だから、これを記することにした。ちゃんとした遺言書はとっくに書いてしまったので、これは個人的な知人に宛てた日記形式。年月日は書かないつもりだ。一日につき一人に対しての思いを綴ることにする。
今日は最初の日だから、景麒に対して。と言っても、もう景麒には何も伝えることが出来ないのだけどね。嵩里山で再会したときのために、考えを纏めるのもいいんじゃないかと思う。でも、景麒を思い出した途端、溜息が聞こえて来るような気がした。それも特大のが。
景麒へ
遂に言えなかったね。景麒、お前が好きだったよ。愛していたよ、その仏頂面も含めて。何度お前を抱きしめたいと思ったことか。抱きしめて、頬ずりしてその唇を奪ってしまおうと。
景麒、お前もその不器用な性格のまま、私を愛してくれていたね。でも、お前はそれを認めないだろうな。自分でも気づいていなかったんじゃないかな。あんなに見え見えだったのにね。ただ王を慕う麒麟の
それでもお前の気持ちは私に届いていたんだよ、景麒。
それに、お前は考えたことはなかったのか。大体ただの王と麒麟の間柄だったら、何故嫉妬なんかするんだ。あ、そうか、それも認めないだろうな。
『嫉妬などは持ち合わせておりません』
とか言って、ぷいっと横を向いてしまうかも知れない。でもね、実はそこが可愛かったと言ったら、どんな顔をしただろうね。
もうすぐ嵩里山で会えるから、そうしたらいくらでも愚痴を聞いてあげるよ。だからお前のことを抱きしめさせて欲しい。
今でも鮮明に覚えているのは、最初にあったときのこと。よくも平気で、蓬莱の女子校から拉致ってくれたね。仁の聖獣とか言ったって、自分たちにとって都合のいい大儀を、有無も言わせずに押しつけただけじゃないか。あれは立派な犯罪だぞ。せめて蓬莱の両親に、私を生んで育ててくれた二人に、手紙くらい渡してくれたって良かったじゃないか。水禺刀で何度両親の嘆き悲しむ姿を見たと思ってるんだ。
いつ帰りたいといいだすか、ハラハラしながら見守るお前を見ていると、遂に手紙のことすらも言い出せなかった。はっきり言っておく。これはお前が悪いんだぞ。拉致ったあげく、勝手に自分からあんな約束するんだからな。帰りたいのならいつでも送り届ける、って、どの口で言ったんだろうね。それは詐欺というの、これも立派な犯罪なんだぞ。本当に麒麟の
景麒、本当はこういった冗談を飛ばす間柄になりたかったんだ。夢だったのかも知れないけど。
全ては詮無いことだと解っていても、悔しい思いは消えないんだ。お前をこんな形で一人で逝かせたことが、未だに心残りで
だってお前のやっていたことを知っていたのだから。そして、私にはお前のその無茶を止める術があったのに。そうだろう。
勅命にさえすればいいのだから。簡単じゃないか。
そんな簡単なことができなかったなんて。いくらお前が勅命を嫌っていたとしてもだ。
いいや、違うな。それは私が逃げたからなんだ。選べなかったから。どちらかを選ぶことが出来なかったから。
百年たっても不甲斐ないままか、私は。
景麒には済まない事をしたと思っている。
嵩里山で再開したときに謝るから、だから、お前も自分の気持ちを認めてくれないかな。お願いだ。
景麒、私の愛しい麒麟。
もうすぐ会えるね。