「お前、よくもここまで入り込めたな」
赤鴉の偽物の言葉に虎嘯はくつくつと笑った。
「偽物とは違うんでな」
「そいつを外で控えている禁軍に引き渡せ。赤鴉としてな!」
「こいつだけか?赤鴉の頭目は間違いなく、その娘なのに?」
紫嵐は鎖を持ち上げて言った。
「外の連中にはこの娘を捕らえることはできぬ。だが、そいつには前歴があるから誰もが納得する。和州の英雄が盗賊に成り下がったとな」
「貴様、陽子をどうするつもりだ!」
小司馬に向かおうとした虎嘯を紫嵐が鎖で引き止めた。
「無論、丁重に金波宮へお連れする。安心するがいい」
「貴様のような変態野郎と一緒に置いておけるか!」
「わたしが変態だというのならば、冢宰も同類だろう?」
「ありゃ、陽子が冢宰に惚れているという噂が立てられるよりは、と冢宰が自分で流した噂だ。真に受けるんじゃねぇ!」
紫嵐は鎖を引いて虎嘯を黙らせた。
「取り込み中悪いが、あんたに会いたいという女が来ている」
「そんな話は聞いていないぞ!」
赤鴉の偽物が叫ぶと紫嵐は片手で制した。
「まあ、面白い見物が始まる。大人しく見ているがいい」
紫嵐が片手で合図をすると、二十代後半の使用人風の女が現れた。
「その男に間違いありません!」
「ええ、確かに!」
他にも二十前後の女達が出てきて口々に言った。
「わかった、辛いことを頼んで申し訳なかった。後はこちらで相応しい罰を与えよう」
女達の背後から出て来たのは禁軍の左将軍の桓堆だった。
「その女達は誰だ?」
「申し訳ありませんね。わたしが追っていたのは赤鴉ではなく、小司馬、貴方だったのですよ。十年前から十代の未成年者に暴行をしていた官吏をね。彼女たちは貴方がかつて無理矢理手込めにした少女達です」
「そんな証拠がどこにある?」
「今更とぼけたって無駄ですよ。彼女達の証言から起こした人相描きが貴方にあまりにも似ていたんで、わたしが貴方に張り付いていたのです。今回のことではどうあっても言い訳は通用しません」
「莫迦な。わたしは赤鴉を追ってここへ辿り着き、奇しくも主上に似た娘を見つけただけだ」
「無駄だと言ったはずです。貴方を捕らえるための書状は既に揃っているのですから」
桓堆は大司寇の御璽が足りない書状を小司馬の前に見せつけ、それを紫嵐に小さな包みとともに渡した。
紫嵐は虎嘯の鎖を解いて、それを受け取ると小卓の上で小さな包みから重々しい御璽を取り出して、書状に印を押し、桓堆に戻した。
「これで文句はありませんね」
 

桓堆が再び差し出した書状には大司寇ではなく、冢宰の御璽があった。小司馬は紫嵐を睨めつけ、口を開けたまま短い声を発した。
「貴様は冢宰!」
紫嵐こと浩瀚は小卓に片手を置き、もう片方の手を腰に当ててくつくつと笑った。
「今頃気づいたのか?我々にはすでに前歴があるから、納得できるだろう?」
虎嘯は桓堆から縄を受け取ると小司馬の背後に回り、縄をかけた。
「浩瀚!お前、性格が悪すぎるぞ!」
班渠によって戒めを解かれた陽子が叫んだ。
「申し訳ありません。このような小物に勅命を下されないよう、台輔のお許しを得て、班渠には耐えてもらったのです。主上には不自由をおかけしましたが、拙への罰はどうか、王宮へお戻りになってからお願いいたします。主上がこのような場所にいたということは誰にも知られてはなりません」
「やはり、ばれていたのか。王宮に戻ったら、小言が待っているのだろう?」
陽子は牀榻の上に座ったまま胡座をかいて横を向いた。
「ご自覚があるのならば、ご自身から譲歩なさることです」
「主上、今回のことでは浩瀚様にも小言が待っていますよ」
桓堆は陽子に片目を瞑ってみせ、浩瀚は桓堆を睨めつけた。
「赤鴉が主上、景王赤子?和州の英雄に、お前が冢宰・・・」
赤鴉の偽物は陽子を見、虎嘯を振り向いてから浩瀚を見上げて立ち尽くした。
「騙していてすまなかったな。と、偽物に言うのも何だが・・・」
「一国の冢宰が総髪で鎖を振り回すなんて誰も信じないだろう?」
陽子は両足首を掴んで機嫌良く言った。
「一国の王が盗賊をするなんて、もっと信じられないよ」
赤鴉の偽物はぼそりと呟いた。
「我が国の王は民の起こした乱にまで参加して戦うような方ですからねぇ」
桓堆の言葉に赤鴉の偽物は目を見開いて虎嘯を見た。
「金波宮では当たり前の事実なんだが、俺達殊恩党が立ち上がったのは拓峰の乱だけで、和州の乱の首謀者はそこにいる冢宰なんだよ。これは対外的にまずいってんで、あの乱は俺達がやったってことになってしまっているがな。景王が俺の訴えを聞き入れて呀峰や昇紘を捕らえたというのは嘘だ。陽子、景王は最初から俺達と戦っていた」
「今なら信じられるよ。それに、和州の英雄に捕まるなら悔いもない」
「随分と殊勝だな。王が目の前にいるんだ。文句を言うなら今の内だぞ」
陽子の言葉に赤鴉の偽物はくつりと笑った。
「文句があるとすればもっと早く現れてこんな状況から助けて欲しかった。いいや、それよりも和州で一緒に戦いたかったな」
「ならば、今からでも遅くはない。仲間に入れてやるから罪を精算したら戻ってこい」
この言葉に彼の酷薄な表情が消えた。
「本当に?」
「誰も文句はないだろう?」
陽子が皆を見渡すと誰もが力強く頷いた。
「ここには文句のつけられる人間はいませんよ」
浩瀚の言葉に陽子は声を上げて笑った。
「ならば、後はここの家公を連行すれば終わりだな」
陽子は桓堆に向かって言った。
「ここは秋官がさっさと調べ上げて、家公はとうに牢の中です。家人は小司馬と面識のない秋官と禁軍兵士に入れ替えておいたので、問題はもうありません」
「手回しがいいな。では、撤収しようか」
陽子は立ち上がると牀榻からひらりと飛び降りた。
 

舘第(やしき)の外へ出ると陽子は一瞬立ち止まり、振り向いた。
「そうだ、名を知らないと不便だな。なんと呼べばいい?」
赤鴉の偽物だった朱色の髪を持つ青年は口を開きかけたが、すぐに目を見開き、体が沈んだ。地面に倒れる前に浩瀚は彼を受け止めたが、左胸には箭(や)が刺さっていて、彼はその箭を掴んでいた。
「班渠、追え!」
陽子が叫ぶと、すぐに塀の外で悲鳴が上がった。
「なぜ・・・」
碧の瞳を濡らして陽子は倒れている青年を見つめながら、碧双珠を彼の左胸に当てた。
「僕等が人間を斡旋していた官吏は小司馬だけじゃない」
言って彼は体を仰け反らせた。
「無理はするな」
この言葉に彼は首を振り、浩瀚を見つめて、息を整えていた。
「ねえ、紫嵐、僕を仲間だと思ってくれているのなら、僕を赤鴉として葬って。その方が陽子の為になるのだろう?」
「駄目だ、死ぬにはまだ早すぎる!諦めるな、そうだお前の名を教えろ!」
陽子が彼の右手を取って叫ぶと、彼はその手を握りかえした。
「僕をみつけて、陽子・・・」
浩瀚は陽子の手の上から、さらに二人の手を握った。
「わかった、赤鴉」
この言葉を聞くと朱色の髪を持つ青年は静かに目を閉じて、体から全ての力を抜いてしまった。その顔は年相応にあどけない笑みを浮かべ、彼の美貌をより一層引き立てた。もう少し遅く生まれていたならば、誰にも愛されたであろうその表情に、桓堆は横を向いて俯き、虎嘯は両手を握りしめた。

 

陽子は雲海を見下ろせる走廊の手摺りに両肘をついて、広げた掌に顎を乗せていた。今はいつもの黒い袍を着ており、尻を突き出して手摺りに凭れているその姿は行儀が良いとは言えない。しかし、その横に立つ冢宰は私的な時間にまで口うるさくはなかった。これが、彼女の半身である景台輔や彼女を常世一、美しい女王にしようと燃えている親友の元公主の祥瓊ならばくどくどと説教していただろう。
「やはり、外出禁止かぁ・・・」
「主上、おのが利益を優先する者は保身にも長けております。損をしても必ずやその穴を埋める。結果、被害は罪もない民に跳ね返ります。それを防ぐ有効な手段は法に則った手続きを取り、見逃さないことです。今回のことは我々が夜を徹していることに心を痛めてのこととは承知しておりますが、主上にはどうか我々よりも、民を第一にお考えになって下さい。我々はその主上のために在るのだということをお忘れなく」
「よ〜く、わかった。今度はちゃんと考える」
陽子は背筋を伸ばして立ち上がると、浩瀚を見上げて明るく笑った。
「お前に外出禁止令は出ていないからな。期待しているぞ、紫嵐!」
浩瀚は俯いて片手で眉間を押さえた。
「本当にわかっておいでなのですか?」
「わかってるって。お前には冢宰よりも紫嵐の方が合っているぞ」
陽子は軽やかに身を翻して駆け出した。
「あの方がじっとしていたら今の慶は有り得ないか・・・」
浩瀚は陽子の背中を見送ると天に向かって溜息をついた。

− 了 −

warehouse keeper TAMA
the warehouse12