砂埃に巻かれながら一行がたどり着いたのは郷の中心の町だった。
途中、馬車の幌の裾から絶えず吹き込んだ砂は荷台の床だけでなく中の座員の衣の間にも溜まり、その外で騎獣を操る男や徒歩で付き添う者の肌の毛穴のひとつひとつをふさごうとしているかのようだった。
それに文句を言いたくても口を開けばそこにも砂が入り込みそうになり、一座は無言でそれに耐えていたが、古株の座員の今夜の野営地の側には小さな池があったはずという言葉に、一刻も早くそこで水浴びをしたいものだと誰もが思った。
しかし街もこのくらいの大きさになると、朱旌の一座の宿泊のためにはあたりの顔役への挨拶では済まず役人の許可が必要となり、まずはその権限のある者を捕まえなくてはならなかった。
「ここは前に来てから随分になるが、代わり映えのしないところだな」
座長は野営地に向かった座の者と分かれて、役人との話しをつけようとまだ若いふたりの座員だけを伴って出かけたが、その途中あたりを見回して呟いた。
座長の言葉には相槌も打たず、ただ笑いを顔に貼り付けたままその後を歩いていた少女は、赤と黄の派手な色遣いの衣で街の人々に一座が来たことをふれていた。一座が鳴り物入りで練り歩くには今日は時間がなく、それでも座長は興行を知らせる機会は逃さなかった。
それに付き従っていたのは小狼で、娘とは違いみすぼらしい衣のままで愛嬌の欠片もなく、買い物の荷物運びに連れて来られたものの、それより早く皆の元に戻って馬車を引いて来た騎獣の世話をしてやることばかり考えていた。
座長は役所に着くと、へこへこと頭を下げて横柄な態度の門の衛士に許可を出す役人の居場所を訊ねていた。ただの門番ですら一夜の野宿の自由もない彼らにとっては国を相手にするも同様であった。
しかし衛士との話を終えてこちらを向いた座長は愛想笑いを引っ込め渋い顔だった。
「おい、付いてこい」
そう言うと若いふたりには説明もせず、すぐに歩き始めた。
普通なら朱旌の相手などは下位の役人で済むはずだが、今回に限ってはなぜかそういうわけにはゆかないようだった。何にせよこうしてどんどん時間が過ぎるのに座長も内心焦り始めていたが、このまま門の外に追い出されるわけにはゆかなかった。
やがて少し荒れた通りに入ると何度かあたりの人に訊ね、やっと一軒の舎館とおぼしきところへ着いた。
無愛想な宿の男に言われたとおりに路地の隅に立って待つと、やがて数名の男が通りかかった。いずれも黒の官服ではあったが絹の色艶はくすんだ安宿の壁を背景にすればここには不自然なほどに華やいで見えた。
とりわけその中央を歩く男は、若々しく精悍な面立ちに秀でた額が深い教養と知性を感じさせ、疲れを知らぬ様子で歩きながらもてきぱきと周りの官にあれこれ指図している姿には仕事への熱意が溢れ一際輝いていた。
その官に向かって恐る恐る座長が声をかけた。
「府第の方でこちらにお願いするように言われまして」
「旅芸人の一座か」
「はい、左様でございます」
小狼はすぐに下を向いて礼をしていたので、声しか聞こえなかったが穏やかな声だった。
「いつもならお前達に使わせる近くの草刈り場が最近の洪水で崩れた。あちこちに勝手に泊まられても困るが、舎館に泊まれと言えば今度はおまえたちが困るだろう」
僅かな木戸銭から一座の宿代など出るはずもない。
「最近来た二組の一座は、代わりの閑地に泊まらせたがどちらも街の者ともめ事を起こした。どうしでだかは知らぬが、こう立て続けではこちらも困る。今回はこの町での巡業は諦めて欲しい」
思いもかけない話に、座長は途方にくれた。
「はあ、分かりました。しかし今からでは隣町にはたどり着けません。門の側でもどこでも結構でございます。どこか今夜だけでもお願いできないでしょうか?」
「おまえ達、それが出来ぬと言われているのが解らないのか。こちらはその洪水で家を失った者の心配をされてこうして自ら走り回っておられるのだ。ただでさえ手不足なのに、我らには今は黄朱の起こしたもめごとなどに構っている余裕はない」
付き添っていた男が遮るように言い放った。ちらりと見上げれば先の男より遙かに年上だが、官位が下なのだろう。すぐに下を向く前にそっと覗き見した若い官は、苦笑しながらまあまあと軽く手を一振りしてなだめていた。
「これも仕事だ。朱旌といえど門を入れば我々の管轄下、保護を願う権利も一応はあろう」
そう言いつつ、しめたとばかりに顔を上げかけた座長に向かってしっかりと言った。
「裏を返せば、門をくぐったならこちらの指示に従って貰いたい。残念だがここにはお前達の居場所はない。この者の言うとおりこちらは洪水の後始末で手が一杯で、いつもめ事の原因になるかわからぬ者を助けてやる余裕はないのだ。恨むなら先の同胞を恨んでくれ」
さすがの座長にも口を挟ませない言い分であったが、それでも若い官はやはり気の毒だとは思っているようで、直ぐに発てば今なら間に合うと思うが、と言い添えた。
すごすごと引き下がる座長と皆の待つ所へ戻りかけていると、騎獣の足音が追ってきた。振り向くと先ほど口を出した年上の官であった。
「おい、おまえたち」
「何でございましょう?」
「全部は無理だが、何人かはうちに泊めてやってもよいが」
たとえ半分泊めて貰っても、他のものは先に進むので何の得にもならない。座長が断りかけると、官はさらに言った。
「残りは未門のすぐ内側にある閑地に泊まれるようにしてやる。他のものは私の邸で宿代代わりに芸を見せてくれればよいことにしよう」
座長はちらりと官を見たが、官は哀れな一行に温情として一夜の宿を与えたという顔を崩さなかった。しかし一瞬横に立つ少女に眼を走らせたのに少年は気付いたが、それは少年のよく知る黄海で獣が獲物を見る時の気配であった。
「へえ、ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして」
官の言ったとおり隣の町へ行く時間はなんとかあっても、今から広げた荷物や柵に放った獣を集めていては無理だということは、移動が生活の中心である彼らにはよくわかっており、その生活を守るために彼らに差し出せるものは少なかった。
ちらりと少女を見ると、その意味することに気付いてはいるようだが何も言わなかった。
相手の下心に気付きつつ礼を言う座長の姿に、納得してこの座に入ったつもりだが、自分の置かれた境遇に雨風凌ぐところもない事より惨めさを感じるのはこんな時だった。しかし本当に惨めに感じるのはまだ芸もない彼には出来る事はほとんどなく、しかもこんな場でも何も役に立たない事だった。元いたところでなら、こんな子供の彼にも出来ることはいくらでもあった。
一座のところへ戻ると、座長は座の中から比較的若い女だけを選び、それ以外の小狼らに門の方へ行くように言い残すと、やがて現れた官の家生に女と共に案内されて行った。