一座は指示された閑地へと馬車を動かし、夕餉の支度にかかった。その他にも騎獣の世話など仕事はいくらでもあり、小狼も何も考えたくなくて忙しく立ち働いた。
少年らしい潔癖さに加えてまだこの世界に入りきれないでいる彼は、連れて行かれた娘たちの事を考え騎獣を擦る手に力が入りすぎたようで、辛抱強い獣もとうとう横へ後ずさった。それに気付いた小狼は慌てて穴の中まで毛の生えた醜い耳に向かって謝り、優しく首筋を撫でてやった。その声は決して人には聴かせない甘い優しいもので、どんな獣もその声と手には不思議なほど懐くのだった。今もその声と微妙な指の動きに騎獣はすぐに機嫌を直してその手にもっと、と、みすぼらしい毛並みを擦り付けた。人のぬくもりを知らず育った少年にとっては、こうした毛に包まれた暖かさだけが安心して寄り添えるもので、さらに心を込めてさすってやった。
夕食が出来たと声がかかり、飯でも食えば少しは気分も良くなるかとそちらへ向かいかけたところへ二頭の騎獣が降り立った。こんなところに誰がそんなものでと見れば、先ほどの若い方の官であった。
日に焼け薄汚れた仲間に囲まれたところで見ると、先ほども目に付いた透けるような肌の色の白さと暗い色の衣に映える真っ白な襟が一際印象的で、敏捷ではあるが優雅な身のこなしで降り立った。
彼も小狼を見覚えていたようで、見回して彼しか見知った者がいないと分かるとこちらに向かってややきつい言い方で声をかけてきた。
「ここに留まることは許さぬと言ったはず。座長はどこだ?」
面倒な事になるなと思ったが、やむを得ず答えた。
「留守だよ。ここへは泊まってもいいと言って貰えたんだ」
「誰がそのような事を許した?」
迂闊なことも言えず躊躇っていると、官はさらに見渡して何か気付いたようだった。
「これで全部か?」
その言い方に顔ぶれの不自然さを気付かれたと分かり観念して答えることにした。
「女は泊めてくれるっていうからそっちに行った」
今から門の外へ出されれば危険な野宿となる。果たして女にとってもどちらがいいのか彼にはわからなかった。官は眉を顰めてそれを聞いていたが、
そこへ先ほど座長らを案内していった家生が戻って来た。
木の陰に立つ官に気付かなかったようで、遠くから小狼を見つけて手招きした。
「おい、おまえ、若い小僧というとおまえの事だろう。おまえも連れて来いとの事だ。さっさと来い」
小狼が何も言えないでいるうちに、官が声をかけた。
「ああ、行こう」
突然現れた身なりの立派な官の姿にびっくりして慌てている家生を冷たく見ると、すたすたと近づいた。
「お役人様、申し訳ありません。お役人様ではなく、そっちの小僧の事です」
「ふむ、私では役不足か。たしかに芝居の心得はないが」
「あ、いえ、そういう訳では」
冷たく睨まれた家生は半泣きだった。
「ではおまえの主に聞いてみよう。どこの家の郎党か?」
それにぱくぱくと空気を飲むだけの男を見捨てて、小狼を振り向いた。
「行く先はどこだ?」
「さっき一緒にいた人だよ」
「なに?」
「座長の話を遮った人がいただろう」
それを聞いた官はその意味を悟ったようで、すぐに付き添っていた官に何か囁き先に飛び立たせると、自分も再び見事な身のこなしで騎獣に跨った。
「待ってくれ」
小狼は駈け寄ると見下ろした官に訴えた。
「こっちから頼んだ訳じゃない。あっちから言ってきたんだ。朱旌なら……それも生活のうちだ。だから朱旌はって言うなら言ってもいいけど。泊めて貰えないからそんな話にでものるしかないんだ。女たちは悪くない」
悔しげに吐き捨てるように、しかし仲間を気遣うその言葉に、官は持ち上げた手綱を停めた。
「私が悪いと言いたいのか?」
「ごめん、そんなつもりはないよ。でもたとえ土砂崩れの場所でもいい。泊めてさえくれればこんな事は起きなかったって言いたかったんだ」
官はやや不愉快そうにその言い分を聞いていたが肯いた。
「分かった、女達を処罰したりはしない。ただ好きでそこへ泊まるのではないなら行くついでに戻してやろうと思ったのだが」
「でも今からじゃ外で野宿になっちまう」
「それも考えよう。とりあえずここにいる者はそのまま今夜は泊まって良い」
「さっきの人もそう言ったよ」
疑わしそうな顔に、官はつい苦笑いをした。
「大丈夫だ、私も下っ端ではあるがそれについては一応権限がある。少なくともあの男にはそんなものはない。安心して寝れば良い。ただ街の者とは関わらないで欲しい。実際ごたごたが続いて手を焼いておるのだ」
「ああ、分かった。それから、言い過ぎた、かも、えっと、それから、ありがと」
ぎこちないが一生懸命な礼を受け、官は肯いたが、ふと言った。
「おまえ、一緒に行って貰えるか?私が相手と話しをつける間に皆を集めて欲しいのだが。どうもおまえたちは役人を見ると身構えて、素直に言うことをを聞いてくれない」
「ああ、いいよ」
そんな風に扱われたから怖がるんじゃないかと思いながらも引き受けた。
「どのみち俺も呼ばれていたんだ」
今になってそれを思い出し暗い気分になったが、官は少年のそんな想いまで気が回らないまま彼を乗せると飛び立った。
「恐いかもしれないが急ぐので」
「慣れている」
「騎獣にか?」
「ああ、前は黄海で働いていた」
「朱氏だったのか」
「まあな」
少し興味をもったのか顔を覗き込まれたようだったが、騎獣で翔ぶ久しぶりの快感にそんな事を気にもせず風を楽しんでいた。
暖かで湿った空気の黄海と違い外の土地はどこも彼には乾きすぎ、特にこのあたりの道は一日で馬車が埃で真っ白になるほど乾ききっていた。しかしこうして高く飛んでいると横切る緑地の木々や草からその香りを含んだ湿り気がたち昇りいっそう気持がよかった。
「早く黄海へ戻りたい」
一座にいる時は我慢していた言葉を通りすがりの相手に呟けば開放感はさらに高まった。
「そんなに良いところという話しは聞いたことがないが?命がけの毎日だろう」
「ああ、だけどいやな人間の相手より妖魔の方がましかもしれない。妖魔に襲われたら死ぬだけですむ」
「それはまた思い切りのいい人生だ」
「自分の力で仕事が出来ればそれも楽しいさ」
「朱氏の誇りの高さは聞いてはいるが、子供でもなかなかのものなのだな」
呆れたように首を振って言われた。
馴染みのない設定なので、登場人物の紹介代わりに、小狼くんにインタビュー。(シリーズのうち最初に公開した作品でしたが、完結まで小狼と国官の名前・場所などすべて伏せたままでした)
たま(以下「T」):こんにちは、ぼうや。SS出演は楽しい?
小狼(以下「S」): ………
T: (……まあこういう年頃は…)じゃあ役は気に入った?
S: ………
T: (もうちょっと可愛いげのあるキャラをつかうべきだったか…)
S: ……俺って朱氏だったんだ。
T: (お、リアクションが)宰領(親方)が前回の黄海で大怪我をしたので、養生する間知り合いの一座に預かってもらっているの。
S: ふーん。朱旌ってなんか変なこともさせられそうだから早く朱氏に戻してくれ。
T: 変な事って(たらり)子供がそんな心配はしなくていいのよ。それより早く慣れてお芝居にも出して貰いなさいね。
あ、知ってる?こういう劇団では男の子が女役をすることもあるのよ。坊やもお髭が生える前なら……いやあんたでは無理か…ちょっとっ、騎獣狩りの小刀なんか振り回さないで。もう帰っていいわよっ。