01:指先で辿る背骨
互いの名を決して口にしない。
それが最初からの約束。
彼にとって私は神なる身、名を呼ぶことを自分にも私にも許さない。
どんな甘い吐息より名を呼んで欲しいと思うけど。
つい漏れそうになる彼の名も唇を噛み締めて耐えるだけ。
汗ばんだ背に指を遊ばせる。
―――何をなさっておいでか。
―――背骨の数を数えているだけ。
訝しげに振り向くその顔を微笑んでやり過ごす。
私の指は呼びかける、あなたの名を、そして刻む、私の名を。
好き、という言葉も添えて。
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02:笑みを乗せた唇
朝議で強硬な反対を受けた。
あなたは慶を滅ぼすつもりか。
言葉に詰まり助けを求めて見た彼は逆にそれに同調をした。
ぐっと歯を食いしばったその耳に、されど、と言葉が続く。
今度歯ぎしりしたのは私に反対した官だった。
王と百官の歯を食いしばらせるその唇は優雅に笑みを刷く。
03:頭を撫でる大きな掌
桂桂が何か言って頭を撫でてもらっていた。
大きな掌が優しく撫でていた。
くすぐったそうなうれしそうなその様子がうらやましくて。
近くで見ていたら桂桂がおいでおいでをした。
そこで駈けていって、その手の下に一緒に屈んだ。
驚いた掌が一瞬引かれたが、恨めしそうに見上げたらまた二人一緒に撫でてもらえた。
その下で桂桂と笑って抱き合った。
手は少し困ったように撫でていた。
04:嘘を吐く口/05:正直な瞳
私が倒れたら国を頼むと言った。
答える前に、いつもこちらをまっすぐ見つめる目が一瞬瞬いた。
御意
その言葉に嘘はないだろうな。
嘘がないか調べてみようとその口に近づいた。
06:寄せられた眉根
こっそり出かけた堯天で喧嘩に巻き込まれて怪我をした。
使令に背負われて王宮へ帰ったところまでは覚えているのだが。
次に目を覚ました時にこちらを見ていたのは薄い色の目、
あの目がその色になるのは本気で怒っている時。
だからそこから目を逸らしたら、代わりに見たのはぎゅっと寄せられた細い眉。
寄せられたそのしわの中から溜息が聞こえてきそうだった。
分かった、うん、分かったから眉毛で小言を言うのはやめて。
07:額を伝う汗
法剣の儀を済ませたその額には汗が伝っていた。
荒いはずの息を押さえ礼をするその顔を真似て、気づかぬ振りで返礼した。
そこへ娘が一人駈け寄り日射しに輝く滴を白い布で消していった。
額、鼻筋、頬……
それを遠目に私も布を手にとり自分の額にそっと押し当てた。
何度もゆっくりと場所を変えながら、鼻筋、頬と辿った。
そして白い布に頬をすり寄せた。きっとあの娘がしたように。
8/24
08:後ろに撫で付けられた髪
私の眼前で礼をしたその一瞬、彼の顔を隠す被り物にふと手を伸ばした。
何を考えていたのか。
彼が顔を上げたため滑った手は紐を摘み……
紐は当然解けて…
紐から手を離すのも忘れて詫びた。
――あの、ごめん
それには何も言わず彼はゆっくり被り物を持ち上げ傍らに置いた。
ことりと音を立てたから、見た目より重く硬いのだろうか。
――よくごらんになりたかったのでしょう
それはいかにも彼らしく、私のしでかしたことをさりげなくかばった。
覆いを失った髪は一筋も乱れず後に撫で付けられ艶やかだったが、いつになく無防備で、それがいつもの彼らしくなくて。
――ご存じでしょうか?被り物の紐は衣の帯と同じ
え?と問い直せば、その美しい鳩羽色の頭を近づけ耳元で囁いた。
――私が自分で解きましたのに
そう言う息を耳朶に感じて気付いた。被り物がないからここまで近づけるのだと。
さらにあと確かに何か言われたのに、のぼせた耳は言われた言葉を捕らえることが出来ず、返す言葉を探せずにいるうちに彼は再び被り物を取り上げ、力を失った私の手から紐を滑らせ抜き取った。
そして礼をとって退室したのは私の国の六官の長。
2005.11.18
09:噛み付いた耳
10:頬杖、物思いの横顔
覗いてみると、彼は書卓に一人座り、片手をついてその白い頬を支えていた。
つまり頬杖?
彼が頬杖?
きりりと背筋を伸ばした姿しか見たことがないので、あまりの珍しさにそのままこっそりと覗いてしまった。
もう一方の手に持った一枚の紙を見つめている表情は半分しか見えないけれど、
なぜか急に見ているのが辛くなって来た。
だってあんな顔で何かを見るなんて。
あんな、あんな・・・優しげな。
もし誰かの事を考えているのだったらどうしよう。
え、どうしようって、私にそんな事を言う権利なんかない。
でも何を想っているのだろう。
ううん、そうではなくって本当に知りたいのは誰のことを想っているんだろうって事。
ねえ、誰なの?
◇◇ 夜紅虫さまにこの場面の浩瀚のイラストを描いて頂きました◇◇
あまりの感動で倒れないように見て下さいね
浩瀚サイドのおまけSS付き
11:上下する喉
庭院の太い木の根の上に腰掛けていた私の膝には愛する男〈ひと〉。
そこへ急ぎの書簡を携えた彼が来た。
くつろいでいるところに邪魔したことを丁重に詫びると、書簡に目を落としたままいつものように手際よく奏上して私の指示を仰いだ。
私はゆっくり考えた。
これは大事な事なのだから。責任のある事なのだから。
草の穂で膝の上に仰向かせた顔をくすぐりながら考えた。
優しい男〈ひと〉の顔を見下ろし、私への愛に溢れた瞳と見つめ合いながら。
そしてその唇にゆっくりと自分の唇を押し当て、そのままじっと考えた。
顔を上げて答えると、相手は恭しく跪いたまま上半身をかるく捻り少し横を向いたまま私の言葉を書き取った。
その表情は見えず、ただ横顔に続く細い喉の骨張った部分がごくり、と動くのが見えた。
書き終えた彼に尋ねた。
――これで、良いのだね
それにただ是と答えて彼は立ち上がった。
しかしその前にもう一度喉が上下するのを見たように思った。
2007.3.2
12:意外に長い睫毛
13:箸を持つ指先
14:抱き寄せられた胸板
遠ざかってゆくあのひとを見送っていた。
姿が見えなくなってもそこから離れられなかった。
終わった……
女王としての立場を忘れなければわかっていた結末。
それでも何か道はないかと考えずにはいられなかった日々、それは決して短くはなかった。
恋しい姿がまた戻ってくる事を夢見て彼方を見ていると、突然視線が遮られた。
顔を上げずともよく知る香りと衣の色で誰かは分かる。
察しのよい男がなぜこんな時に邪魔をする。
こんな顔を見られたくなくて、眼を合わさぬまま逃げようとしたが、捕らえられ、抱き上げられた。
そして今までその広さに気づく事もなかった胸板に固く抱き寄せられた。
――――ずっと…待っておりました、この日を。
ああ…そうだったのか。
――――もう決して……
8/21
15:包まれる両腕
朝早くひとり禁門に立つ。
兵は下がらせておいたので、
雲海から上がる朝霧に包まれた石畳にいるのは私だけ。
手綱を取ると騎獣の視線が私の後をうかがった。
振り返る前に背後からの強い手で包まれた。
ひんやりと熱を失ったその手に、待っていた時間の長さがわかる。
―――お連れ下さい。
拒否しようとしたが、言葉が出てこない。
私はこれほど愚かで弱かったのか。
だからこんな事になったのか。
言葉に詰まった私を攻めるのは彼の得意技。
何も言わせず
私を騎獣に乗せ、自分もその後に跨り飛び立たせた。
手綱を持つ手で私の両の腕を包んだままゆっくりと急ぐことなく騎獣を駆る。
蓬山へ。
帰りは彼一人。
8/23