尚隆が陽子の房間に案内されて中に入ると、そこには陽子が簡素な襦桾を着て一人で寛いでいた。陽子は笑みを浮かべて榻からゆっくりと立ち上がると「ようこそ」と機嫌よく挨拶をした。
小卓の上には軽い食事と酒と茶が用意され、酒杯と茶杯はそれぞれ二つだけだった。
「他の連中はどうした?」
尚隆は不機嫌に口を開いた。
「今宵の客は貴方だけです。どうかお座りになって下さい。お酒とお茶とどちらになさいますか?」
尚隆は房間の入口に立ち止まったまま動かなかった。
「景王はこうして気軽に男と二人きりで夜に話をするのか?」
陽子はくつくつと笑った。
「まさか、この房間に入ったことのある男性は景麒と虎嘯くらいですよ。貴方は特別です」
「掌客殿でも用は済むだろう?」
陽子は唇の両端を上げて艶やかに微笑んだ。
「わたしがこの姿で掌客殿を訪れたら大騒ぎになるでしょう。それにあそこでは二人きりになれません。わたしは貴方と二人きりで話をしたいのです」
陽子は尚隆の双眸を見つめながら近づき、尚隆の胸に片手を置いた。
「お気に召さなければ、お戻りになっても構いません」
尚隆は陽子の碧の瞳を見下ろしながら、片腕でその細い腰を引き寄せ、もう一方の手で陽子の顎を捉えると、ゆっくりと自分の唇を重ねていった。片手を胸に引き寄せて拳を握る陽子の様子を伺いながら次第に深く激しく陽子の口の中に入り込むと、陽子も必死に尚隆の舌の誘いに応えようとしていた。
尚隆が陽子の唇を解放すると、陽子は伏せていた瞼を見開き、澄んだ瞳で尚隆を見つめ返してきた。
「男を誘う手など、どこで知った?」
尚隆が太く笑うと、陽子は小首をかしげてくつりと笑った。
「浩瀚が、」
尚隆は片眉を上げた。陽子は尚隆の胸に凭れかかってくすくすと笑い出した。
「貴方から視線を外すなと、そう教えてくれただけです。そうすれば必ず貴方を落とせると・・・」
尚隆は天井に向かって息を吐いた。
「まったく、余計なことを。どこの冢宰もお節介な奴が多い」
言って、尚隆は陽子を抱き上げて驚いて目を見開く陽子を見つめた。
「降参してやる。それでいいのだろう?」
「はい!」
陽子は尚隆の首に腕を回して抱きついた。
尚隆が大股で小卓を通り過ぎると陽子は「あっ」と片腕を差し出した。
「食事は?」
尚隆は足を一度止めて口の端を片方あげた。
「先に陽子を喰らう。今宵は二人きりで過ごすのだろう?」
陽子は目を伏せて尚隆の襟を掴むと首を縦に小さく振った。
翌朝、尚隆が掌客殿へ戻る途中、内殿の走馬廊に面した園林に景麒が佇んでいた。尚隆が近づくと景麒は紅い花を一輪差し出した。それは金波宮の一同からの思いが込められていた。
−我々の女王を軽く扱うな
と・・・
尚隆は諾の返事の代わりに花を受け取り、今来た走馬廊を引き返した。
− 了 −