朝は女官達の衣擦れで始まる。
「おはようございます、主上、朝でござい…、まっ、失礼いたしましたっ」
帳を挙げかけていた女官は、衾の上に広がる紅い髪の傍らに覗く別の色の髪に気づくと慌てて回れ右をし、従えていた若い女官をせき立て外に出た。
そしてそのまま隣室の小部屋へ飛び込むと、そこでは臥所当番の夜勤の女官があくびをしながら日誌をしたためており、横では警備の禁軍兵が引き継ぎをしていた。
すぐさまその夜勤の女官を捕まえると、どうして先に一言言わなかったかと女官は責め立てた。
「何がでございますか?」
しかし相手はあわててあくびを噛み殺し立ち上がったものの、何のことかも分からないようで、きょとんとしていた。
「何って」
思わず声を大きくしかけたものの、兵が打ち合わせを中断して聞き耳を立てているのに気づくと女官は声を潜め改めて尋ねた。
「主上のところへ昨夜は…そのう、お客があったでしょ」
「は?えええっっ?存じませんが」
相変わらず埒があかない答えに諦め、代わりに傍らの書きかけの臥所当番日誌をのぞき込むと、昨日の日付の横にはたった一行、「亥、臥所入室」とだけ書かれていた。
「ちゃんと起きていたの?」
「はあ、申し訳ありません。実はつい眠ったようで。何しろお呼びになることも滅多にありませんし」
疑わしそうに問い詰められ、夜勤の女官はくびを覚悟して小さくなって答えた。
その時、それまでただ遠巻きにやりとりを見ていた禁軍兵が顔を見合わせ、そのひとりが恐る恐る横から口を挟んだ。
「あの、実は昨夜早くにこっそりお出かけになったようで。今まではさすがに夜はお出かけにはならなかったので見逃してしまいました。お戻りには気づきましたが、特にお変わりがないと思いほっとしたのですが」
女官はふたりともあっけにとられた。
「まあっ、なんてこと。それでお帰りの時何も変わったことは無かったと?
たとえば……何か……お持ち込みになったご様子は?」
「そういえばひとつ荷物をお持ちのようでしたが、それが何か?」
あんな時間に開いている店もないはずなんですが、とのんきに首を捻っている兵を睨み付けると、いったい大事な主上をこんないい加減な者ばかりに任せて良いのだろうかと先の女官はぷりぷりした。
しかしこんな事より早くあちらをと再び踵を返すと、それにしても…、と苛立っていたのも忘れてふふっと思わず顔がほころんだ。あの主上にも春が来たのねー。何のかんのと言っても御歳わずか十六で神籍にお入りになったのだから、本当ならこれから恋の一つもなさるはず。
先代の女王の記憶がある限り周りからいろいろと難しいこともあるだろうが、それをお守りするのがお側勤めの女官の仕事。これから張り切らなくっちゃ。まずは今まで閑職だった臥所詰めをもっと有能なのに入れ替えなくては、と心に書き留めた。
それにしても、誰がご一緒なのだろう。咄嗟のことでよくは見なかったが、あの髪の色の心当たりを考えてみる。
十二国に十二しかない髪の色でないことは確かなのだが、その後が思い浮かばない。主だった官や武官まで誰彼思い浮かべるが、ちらりと見ただけだしはっきりしない。そもそも外からお連れになったなら心当たりが無くて当たり前かも知れない。他国の者って事はないわよね。他国と言えばあの半獣の青年は人型の時何色の髪だったかしら、などとも考えてしまう。
わざと音を立ててまた扉を開くと、まだ帳の中はひっそりとしていた。
「主上、お起きになっていらっしゃいますか?」
もそもそと動く気配がすると、帳に眠そうな紅い髪の影が映った。
「うん、おはよう」
「そちらへうかがってよろしいですか?」
「へ、なんでそんなこと聞くの?」
「もしやどなたかご一緒かと」
「あっ、そうだった。ねえ、来て来て」
来てって……、初めての春だからって、こんなところを見せびらかしたいのか。慎みがないと台輔がぼやかれるはずだわ、と女官は思ったが、なんといっても好奇心には勝てない。恐る恐る(わくわく)そばへ寄り覗き込むと、紅い髪の広がる衾の中に……、
主上、これは、ちょっとお相手には若すぎません?
覗き込むいくつもの目にも気づかずぐっすりと眠っているのは幼い男の子。明るい伽羅で染めたような色の柔らかそうな髪を色白の頬にまつわりつかせているその愛らしさは、思わず頬ずりしたくなるほどだった。
「まあああっっっっ」
いつの間にか背後から覗き込んでいた若い女官達が騒いだ。
その声に男の子は目を覚ました。驚きで琥珀色の瞳を見開くときょときょとまわりを見渡し、やっとかたわらの陽子に気がつくと見上げてにっこりと微笑んだ。
「夢だったかと思っちゃった」
「夢じゃないよ」
もしゃもしゃの髪を撫でながら言われると、そのまま陽子にぎゅっとしがみついた。
「かわいいいっっっ、きゃーっっっっっ」
女官はなおも嬌声を上げる若い女官をたしなめようとしたが、こちらもつい手を伸ばして子供を抱き上げてしまう。
知らない顔に囲まれ不安げな子供に、お着替えをしましょうと言うと、妙に真面目くさっておとなしく頷いた。その様子がまた一段とあどけなく愛らしく、女官達の心を捕らえてしまった。
「いったいどういうことかは後でゆっくりと伺わせて頂きますが、まずは朝のご準備をして下さいましね」
そう陽子に言いつつ、代わって抱こうとする他の女官と子供の奪い合いをしながら結局みんな一緒に出ていってしまった。
私の着替えはどうなるのだろうかと残された陽子が思案していると、祥瓊が入ってきた。
「どうしたの? 女官がみんなあちらの方へ行ってしまったようだし、小さな子供が一緒のようだったけど」
「うーん、子供を連れてきたら女官を取られてしまったようで。
悪いけど私の着るものを持ってきてくれる?」
よくわからないという顔をしながらも、女官が放り出して行った衣類の準備をし始めた祥瓊がはっとしたように、手を止め、振り向いた。
「陽子、それって。もしかして……あの子?」
「うーん、そう。(祥瓊のカンはいつもながらすごい)」
「どうして連れてきたりしたの?」
「えーっと、悪いけど今はうまく説明できないと思う。ごめん」
「……まあいいわ。で、子供はどこへ行ったの?」
「着るものを探しに行ったみたい。昔の太子のものが何かあるはずだとか言っていたよ」
それを聞くと祥瓊は抱えていた官服を下ろして突然すっくと立ち上がった。
「太子の服ですって?まあーっ、とんでもないっ!」
「え?」
「陽子ったらー、太子の服なんてぴらぴらした豪華なものに決まっているわ。
女官は陽子を着飾らせることができなくて溜まっている鬱憤をその子ではらすつもりよ。絶対そうなんだから。
王宮で子供を着飾らせちゃだめ。ばかになっちゃうんだから。
もうーっ、止めなくっちゃ!」
そう言うと握り拳を固めて勇んで飛び出して行った。
再び陽子は一人残された。
「あのー、誰か私にそれを着せてくれない?私一人では着れないんだけどな。
もしもーし、誰かいないのー?
もうっ、昨夜の袍子を着て朝議に出るぞっ。景麒が怒っても私のせいじゃないぞー。
おーい、だれかー」
しかし、それに応える者は現れそうになかった。